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あのころ——「YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」を観て


あのころ

 

 

 

「はじめのベーコンが良い。」

 

 

 

そういう感想をSNSでちらほらみかけた。国立新美術館で開催された「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」展への感想である。

 

フランシス・ベーコン(1909-1992)自身はYBA——80年代末〜90年代のYoung British Artists——ではないが、この展覧会の冒頭を飾る《1944年のトリプティック(三幅対)の第2ヴァージョン》(1988)は、たしかにこのYBAの時代を象徴する作品といえそうだ。

 

真っ赤な背景に浮かび上がる三体の奇妙な有機体は、まるで人間のごう による人体実験の産物のようである。彼らは慟哭しているようにもこちらを威嚇しているようにもみえる。彼らが座している無機物のような台座ですら、実際には有機体に見える部分とひとつづきであるのかもしれない。わたしが個人的に震えたのは、この台座のような部分が暗く黒いモヤの中に立っているのをみたときだ。いや、立っているのか、吸い込まれているのか、ここから生まれ出ているのか、定かではないが、この地獄の焔のような底なしの闇こそが奇妙な彼らの存在の根幹であり存在意義のような気がして、身震いした。

 

 

なぜこの作品がYBA展の冒頭を飾る作品に選ばれたのか。

 

 

 

タイトルが示す通り、ベーコンは1944年に《ある磔刑の基部にいる人物像のための三習作》と題し、これらの奇妙な有機体をすでに画面に現していた。

 

出典元:とんとん・にっき https://ameblo.jp/tonton3/entry-12678491304.html 内の「NHK日曜美術館」 画像

 

 

 

1944年という制作年から、これらの奇妙な有機体は第二次世界大戦末期の異常な状況を表したものと思われた。しかしそれから40年を経た1980年代に、ベーコンはこれらの奇妙な有機体を再びモチーフに選ぶ。終戦からの40年といえば、わたしの作りかけの拙い年表にも次のような出来事が並ぶ——冷戦開始、(第一次〜四次)中東戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ革命、フランス五月革命、石油危機、サッチャー英国首相就任。

 

マーガレット・サッチャーといえば、 ”There is no alternative." 「選択の余地はない。この道しかない」 が議会での常套句であったことがしばしば言及される。彼女は、個人の自由や市場原理を再評価する新自由主義のもと、国有企業の民営化と規制緩和・金融システム改革を推し進めた。鉄の女の導きにより、当時のイギリスはインフレの抑制には成功したものの失業率は80年代を通じて上昇した。

 

 

 

ベーコンの「第2ヴァージョン」にしろ、90年代を席巻したYBAの作品群にしろ、通底しているのは ”Alternative” ということばではないだろうか。

 

 

 

たとえば、ルーシー・ガニング《馬のものまねをする人たち》は、新聞で募った5人の女性が馬のものまねをする様子を記録した映像であるが、あまりにも上手い馬の啼き声と滑稽にみえる走り方に、演者たちはしばしば照れ笑いをする。この「照れ笑い」はどこからくるのか。規範的な人間の振る舞いから逸脱したことをしている、そのことをわかってやっている、といういい訳のような「照れ笑い」にわたしには感じられた。規範的な振る舞いとはAlternativeなき振る舞い——”There is no alternative."的振る舞い——のことである。つまり馬のものまねは、 ”There is no alternative." の中にあってAlternativeを体現することに他ならない。

 

出典元:「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」カタログ

 

 

 

ジリアン・ウェアリング《ダンシング・イン・ベッカム》からも同様の文脈を読み取ることができる。この作品は、人々が行き来するショッピングセンターの通りでひとり没頭して踊るジリアンだけが主役というわけではない。その彼女を怪訝そうにみる、あるいはみてみぬふりをする人々もまた主役である。ショッピングセンターの通りという公共の場において、ジリアンの行為はAlternativeであって、それに対する人々の反応の中には ”There is no alternative." とでもいいたげな固定観念がみえ隠れする。

 

出典元:「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」カタログ

 

 

 

トレイシー・エミンによる《なぜ私はダンサーにならなかったのか》は、まさにAlternativeの物語そのものといえる。そこではダンサーになっていたかもしれない可能性が、貞操観念という名のついた「性的接触における男女の社会的不均衡」により、消されてしまった過去が語られる。彼女のAlternativeはなぜ果たされなかったのか、そのことを考えるとき、普段は無色透明を装っている ”There is no alternative." が、大合唱となってわたしたちの前に現れる。

 

出典元:「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」カタログ

 

 

 

そのほか、ジュリアン・オピーの作品タイトル 《車?》 《都市の風景?》 についている「?」や、サイモン・パターソンの地下鉄の路線図を模した《おおぐま座》、キャシー・ド・モンショーが《消す》においてデニムやベルベットに包まれたボルトやナットで示唆している男性器と女性器などは、すべて既存の観念を覆さんとするAlternative的な試みとして解釈できる。

 

 

 

サッチャー政権が終わりを迎えた後の90年代に、YBAたちが訴えていたのはAlternativeという観念であり生き方である。 ”There is no alternative." と覚悟を決め走り抜ける季節は過ぎた。 ”There is no alternative." と信じられていたものから、はみ出るものがたくさんあった。「大きな物語」が終わり、寄る辺を失くした者が生きようとするならば、手繰るのは足元であろうか。さらにその奥の深い根の部分であろうか。

 

性や死がテーマに選ばれることが多く、ゆえにエロ・グロとまとめて形容されうるYBA作品群だが、それはより根源的な「生」に目を向けた結果ではなかっただろうか。

 

 

 

そう考えた時に、冒頭のベーコンの暗いモヤのような闇が思い出される。わたしがこの闇をみて身震いするのは、それが異質なものだからではない。むしろ、わたしの根源たるもの、わたし自身ともいえるものであり、けっして負の感情ではなく、肯定的に自身を鼓舞しうるものだからである。ゆえに、奇妙な三体の有機体は、真に生きようとしていた90年代のわたしたちそのもの、人間のAlternativeな姿そのものなのである。この作品が、三幅対トリプティック という、宗教画を想起させる形をとっているのも興味深い。ベーコンの《1944年のトリプティック(三幅対)の第2ヴァージョン》は、90年代のわたしたちの拠りどころとなりえた宗教画といえるかもしれない。

 

 

 

本展からもうひとつ、宗教画のような印象を受ける作品を取り上げたい。シーマス・ニコルソンの《オリ》である。

 

 

ニコルソンはロンドンの路上でみかけた一場面を再現した。天使の羽根をつけた赤いジャケットの男が壁に向かって放尿している。男の背にかかる縦格子状の影や画面手前の柱、天井部分の筋などから、一点透視図法が想起される。フラ・アンジェリコの《受胎告知》の回廊の柱がこの作品に重なってくる。放尿している男はあたかも自らの影に向かってこうべを垂れているようだ。この天使は、天界の正道から逸れ、Alternativeとしてこの世に堕ちる誓いでも立てているのだろうか。そんな物語とは全く関係ないようなクラブの喧騒が聞こえてくる。

 

原題の《Ori》がどのような意味なのかは定かではないが、偶然、日本語の「檻」と勘違いさせるタイトルなのも興味深い。実際、男を取り巻く縦格子の影から、この舞台が檻の中であると捉えることもできる。しかし、手前の柱からこちら側は大きく開かれており、いつでもその檻から外に出ることができるのだ。この道しかないわけではない。

 

 

 

 

 

90年代を通して、今まで正道と思われたものから外れることが、ある種のスタンダードになっていった。2026年の今、権威や社会的に当たり前とされてきたものに疑問を投げかける態度、性的な問題の多様性を認める態度はめずらしいものではない。それどころか「アンチ・ウォーク」や「ポリコレ疲れ」なることばも存在している。YBAが90年代の世界に問うたAlternativeな主張は、今の鑑賞者には表現の強烈さの割に中身が淡白なものとして映るのかもしれない。ゆえに、人間の本質を現した普遍的な「はじめのベーコン」が良い、という感想に至る。

 

だが、晴れてAlternativeな生き方を体現しているわたしたちに、次にやることは残されていないのか。すべてのAlternativeを冷笑するでもなく、”There is no alternative." に立ち返るでもなく、その次たるAlternativeはまだどこかに残されているのではないだろうか。その答えを探求しようとするパワーは明らかに90年代のほうが充ちていた。「はじめのベーコンが良い。」のならこういうことだ——今一度、底なしの闇に潜む自分自身に鼓舞されるべきだと。

 

 

 

 

 

 


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